司会者:変わりましては期を1つ戻しまして、26期吉田一郎さんにご登
場いただきます。吉田さんは精神科医である傍ら、九州大学大学院医学
研究院精神病態医学講座で精神疾患、特に痴呆性疾患の分子病態医学的
解明に関する研究をされています。医学の中で限りなく文科系に近い心
の研究、心に興味を持たれているということです。それではお願いしま
す。

吉田さん

私は26期卒業生の吉田一郎です。現在九州で精神科医として歩んでい
ます。私達26期生は初代田中校長を知らない初めての愛光生です。さて、
私が栄えある学園の創立50周年におきまして、語る機会を与えていただ
きましたので、私の原点にある学園時代の思い出を中心にお話をしてい
きます。スライドをお願いします。まず、「落ちこぼれ」について考え、
それを中心に「我ら愛光生」を論じてみます。(スライドにて説明が入る)
これが私にとって一番懐かしい資料です。私は九州から来ましたが寮生
活に馴染めず、1年でドロップアウトして退寮せざるをえず、そして下
宿生活を転々とするという情けないことになりました。そして成績もこ
ういうふうなありさまで、どうしようもないって感じです。でも何もし
なかったわけではなく、私は私なりに教科書がボロボロになるまで頑張
っていました。ですが、結果は常にこういうこと(分子と分母が1になっ
た成績)が繰り返されたのです。中二が終わったとき、いつになく優しい
表情の父に呼ばれました。父はこの通知表を手にしていました。父は「お
前は良く頑張ったな、が、頭が悪いんだよ、頭が悪いのならもう無理を
しちゃいかん、九州に帰っておいで」と諭してくれました。頭が悪いの
かっていうのは衝撃でした。努力すればなんとかなると思っていたけど、
頭が悪いというのは生まれてそのとき14歳でしたので取り返しようが
ない。通知表を渡してくれた担任の青葉先生は優しい眼差しながらも厳
しく諭すように語り掛けて「地元でやり直すように」と言ってくれまし
た。しかし、私は「愛光が楽しい、愛光を続けさせてくれ」と先生と両
親に泣いて頼みました。父は「親として最後までこのバカ息子の責任は
持ちます、だから置いてやってください」と先生にお願いしてくれまし
た。そして、青葉先生は私たち親子の無茶な願いを叶えてくれました。
その後、高校に進学すると、こんな成績から抜け出せてなんとか平均点
についていけるようになりました。このような有り様で、私は愛光では
ほとんど勉強せず、不勉強の結果、大学受験には失敗し、勉強しなかっ
たことを猛烈に反省し、そして、愛光時代6年間の自由を与えてくれた
親に心底から詫びて、反省の浪人生活を送りました。翌年、九州大学医
学部に進学することができました。そして私は今日ここで精神科医とし
て、「落ちこぼれ」についてを考える機会を得たわけです。スライド次お
願いします。
ところで、この会場のみなさんの中で私より成績順位の悪い人はいま
すか?手をあげてください。いませんね。次に「俺は落ちこぼれだ!」
と思っている人はいませんか?何人かいるようですね。みなさんきっと
私の話を聞いて、「あいつこそは落ちこぼれだ!」と思ったのではないで
すか?しかし私は成績は最低でしたが、自分自身落ちこぼれだと思った
ことは1度もなかったのです。そして今日思うのは、落ちこぼれは1種
の肩書きみたいなもので、落ちこぼれに安住してしまうと「落ちこぼれ」
はやめたくても、もうやめられなくなる居心地がいい一種の依存症みた
いなものだと、そう、「落ちこぼれ依存症」という診断名です。長々と申
しあげましたが、みなさん、今後決して、「成績が悪い」のと「落ちこぼ
れ」を一緒にしないでください。そして、「落ちこぼれ」を名乗ることで
自分自身の未来の可能性を放棄しないでください。スライド次お願いし
ます。
話は変わります。みなさん、「頑張って」いるようです。次はその「頑
張る」という言葉について述べます。誰も使う、「頑張る」、「頑張ろう!」、
「頑張ってくれ!」という、あの言葉は、普通に挨拶で言うのなら問題
ありません。しかし、頑張って、頑張って、頑張ってきて、やがて、疲
れ果てて、あーキツイしんどいなと、それでも、「頑張れ!」と言われて、
「もう、自分はダメだ、頑張れない。頑張れない自分は情けない。悔し
いけどもう、ダメな自分なんだ、もう仕方がないと、追い詰められ、心
が閉ざされてしまうということがあるのです。ここで、気を付けないと
いけないのは、「頑張る」という言葉には何も具体論がありません。無意
味な空疎な言葉だと、この点に注意してください。励ます側は「頑張れ」
と言わないで励ます知恵と工夫を考えてみてください。そして、励まさ
れる側は頑張らなくても出来る範囲で出来ることから、冷静かつ具体的、
合理的に緻密な対応を進めていけばいいだけです。そして、無意味に「頑
張ろう!」という言葉を繰り返す結果、事態は一向に改善せず、徒労と
消耗を繰り返すのはなんとバカなことか、これを肝に銘じてください。
スライド次お願いします。
みなさん、我ら同窓生は学園を巣立ち、幾星霜を経て一人一人、人生
の荒波を受けつつ、今、過ぎし越し方を顧みて、いかなる大学に学び、
いかなる環境に身を置いたとしても、己の運命に敢然と立ち向かって来
たことをお知らせします。今日(こんにち)、ともに励んだ我らは、この
秋の穏やかな日和の下、等しく、一定の人生の幸福を共有したことに安
堵し、それをみなさんに報告します。みなさん、我らの凡庸さとそれに
耐えてきた能才、これらをもつ小さな存在としての我らをささやかに讃
えて欲しいと、乞い願います。在校生のみなさん、壇上に立つ、我らを
今からのパネルディスカッションで、しっかり味わい、そして、充分に
楽しんでください。そこに我らの偽らぬ真の姿を見出すはずです。スラ
イドは以上です。
みさなん、親愛なる同窓生諸君、学園関係者のみなさま、ご父母のみ
なさま、そして在校生諸君、我らは学園を巣立った後、事あるごとに自
己の品性と知性の限界を痛感してきました。一番悪いことは、我らは学
園の卒業生であることを忘れ、一介の市井の青年、時には退廃した不良
中年として振舞ったことは一度たりともなかったか、と問われればなか
ったと言えぬことです。したがって、本学園建学の高遠な理想に甚だな
不忠実であったことに対しまして、我らが学園を巣立った後、懸命に学
園を支えてこられた先生方と生徒諸君、そしてご父母のみなさんに対し、
お詫びを申し上げなければならない次第です。しかし、みなさん、我ら
の過去と怠慢、またおそらくは、我ら自らの怠りと過ちにかかわらず、
我らは学園建学の精神の理想極めて小さな一部、愛と知性をもって人生
を懸命に歩んできたことの自負を語ることを禁ずることはできません。
しかし、我らの理想はなお遥かに高く、今日も我らの眼前に素美そびえ、
我らの現実の低俗を哀れんでいるかのごとくであります。みなさんが一
丸となって学園の50年の歴史と伝統をふまえ、そして、それらをさらに
真っ直ぐ伸ばし、学園の理想の達成の早からんことに今後懸命の努力を
誓いましょう。願わくは、現生徒諸君、並びにご父母のみなさまは、学
園の100年の礎として特にこの理想実現に力を貸してください。学園は
50年の歩みと歴史の下地のもと、今日女子生徒の参加を得ました。この
出来事は、形骸化しがちに語られる歴史と伝統に対し、「新生」を感じさ
せる大きな事件です。もし、仮に共学化について多少の困難さはあった
としても、みなさんの協力のもと、必ずや偉業は達成されるものと願い
ます。今日この日が学園にとって、この新生の記念すべき日として永遠
(とわ)の歴史に祝福される日となることを信じてます。愛光学園創立50
周年おめでとうございます。以上です。