司会者:理系の方がずっと続いていますが、変わりましては8期生の小池振一郎さんです。小池さん
は第二東京弁護士会元副会長で、刑事・民事ともに明るい弁護士でありますが、93年から97年まで日
本テレビ「ザ・ワイド」のレギュラーコメンテーターとして活躍、現在東京にいらっしゃいますが携
帯電話という武器がありますので、南海放送ラジオでも水曜日の夕方4時から毎週時勢を斬ってらっ
しゃっています。それから著書も多く、最新刊には「ワイドショーに弁護士が出演する理由(わ
け)」(平凡社新書)も書かれています。

小池さん

私は愛光を卒業してから35年くらいになるのですが、弁護士の生活を始めてからも、もう30年近
くなるので、もうすっかり愛光のことは忘れていたのですが、愛光の思い出を語れと言われても、何
を語ればいいのかと・・だいたい私はそもそもなぜここにいるのだろうという思いで、自分でも何を
話すか分かってないので思いつくままに時間の範囲内でお話させていただきたいと思います。
思い出というとあまりいい思い出はないのですが、学校の近所で火事があってそれを見に行ったら
体育の授業開始時間に遅れて、1時間朝礼台の上に座らされました。私の大好きなラグビーの授業だっ
たのですが、これができなくてすごく悔しい思いをしました。いまだに悔しいですね。もう少しあの
時なんとかできなかったかと今でも時々考えます。あの時にもっと深く反省の姿勢を示して、体育の
先生に「申し訳ありませんでした、これから気をつけます」と言って、10分くらい座って、その後一
緒にラグビーをやるということができなかったのかなとか、ことごとく情けなくなってしまうという
話です。それから当時中学3年の時には映画鑑賞は禁止されていたのですが、映画館に行ったら、先
生に見つかり「校則違反」だということで親が呼ばれたのかな・・なぜ先生がそこにいたのかという
と、その先生は愛光推薦の映画にしようかどうしようかというので観るためにそこに来た。非常に真
面目なキリスト教の映画だったのです。親が呼ばれたのは、そのせいだったのか?あるいは3階の校
舎から牛乳ビンを投げて、そこにまた牛乳ビンを投げて当てて破裂させる遊びをして、それが見つか
って呼ばれたのかもしれませんが、ちょうど中学3年の頃「お前そろそろ高校に行くのになぜこんな
バカなことをしてるんだ」ということを言われたことを覚えています。そんなことしか思い出せない
のですが、中学3年の時に実は3階建ての校舎から友人から突き落とされそうになったことがありま
して、これがなんだったかなと思いますと、首を締められて「俺の女に手を出すな」という話で、な
ぜかというと、女性と付き合わないと将来歪な人間になってしまうと、無理してでも付き合うべきだ
という変な理屈を考えてミッションスクールの女の子たちとハイキングに行き、8人くらいで行ったの
ですが、それが粒ぞろいの女の子で、それが学校中の評判になったのです。その中の1人を誰か他の
男の友人が目をつけていたのかどうかわかりませんが大問題になり、担任の高須先生のところに呼ば
れて「写真を見せてみろ」と言われて、写真を見せて「この手の女とは付き合わないほうがいい」と
言われ「はい、そうですか」と私も素直だったと思います。秋山先生のパッションというものを考え
れば、もう少しあの時に追求しておけばよかったのではないかと思うのですが。そんなことしか思い
出としてありません。
結局愛光とは何だったのかなと考えるとやはり進学校であり、受験校であると。そういうイメージ
があるわけです。実際にやはりそうなんだろうなと思います。私の友人も愛光に行き、東大に行き、
官庁に入りと・・ゆくは局長、次官という出世コースを歩んでいます。そろそろ私の大学時代の友人
は局長クラスになりまして、だんだん終わりになってくると、天下りでどこかに行く。まだ残ってい
るのは次官になる可能性があるかもしれないと横で思っているのですが、ぜひ頑張って出世してもら
いたいと思っています。今は内部告発の時代なので何がどうなるかわからない。大蔵官僚になっても
しゃぶしゃぶ事件があり、先輩がしてきたことと同じようなことをしていれば、それで今までは通用
していましたが、これからは通用しなくなる、そういう時代になってくる。今までは「内部告発なん
てとんでもない、組織を売るのか」という発想が強かったと思うのですが、今は組織・会社というよ
りもやはり消費者のため、一般市民のために、何がいいのかというように選択肢が変わってきている。
大変私はいいことだと思います。21世紀はそういう意味で、大いに内部告発をして本当にルールにの
っとった社会をつくっていく必要があるだろう。そういう中で先輩がしてきたことと同じ事をただ繰
り返していたのでは、出世するかもしれないし、もしかしたらどこかで急に運命が変わるかもしれな
いなという気がします。問題はやはり自分たち1人1人が一体どういうふうに生きていったらいいの
か?出世は大いにしてもらいたいと思いますが、同時にそれだけが自分の価値ではなく本当に大事な
ものは何なのかということを愛光時代に考え、大学に入り、社会に出てからも考えていく必要がある
のではないだろうかと思います。
私は偶然弁護士になり、というのは、昔NHKで「事件記者」という番組があり、それに憧れてマ
スコミに行きたいなと思って、マスコミに行けるには東大の法学部と早稲田の政経かな、という当時
そういう状況だったので、東大の法学部に受かり、そうしようかなと思ったのですが、途中でそれは
サラリーマンだし、サラリーマンじゃない方がいいかなという風に思い直し、周りに司法試験を受け
る人が結構いたので、そういう自由業に憧れて弁護士を目指したわけです。そういうかたちで弁護士
になりましたが、弁護士になってこの30年近く何をしたかというと、ただただ仕事をしていたと。そ
の中で愛光というものがどういう意味があったのかというと、先ほど言ったように、何も考えていな
かったのです。今回こういう話をする機会を与えてられ非常に焦りまして、どうしたものかと思って
送られて来た資料を見ました。同窓会だよりの第10号というのがあり、五百木校長の話がでているの
ですが、「現実主義と理念主義のバランス」ということを言われています。この両者の緊張関係があ
って初めて愛光的知性の花が咲く。確かに弁護士の私の生き方あるいは仕事の仕方というのは人権と
民主主義のためにどう頑張っていくのか、しかし、その中でどのように早く合理的に紛争を解決して
いくのかという現実的な感覚、それと人権を侵害してはいけないという理念、このぶつかり合いの中
で仕事をしているわけで、そう言われれば、私は愛光でそういう教育を受けたことが役に立っている
のかなと思います。私はワイドショーはくだらないと思っていました。実際5年間やってみてくだら
ないです。でも時々その時のホットなニュースが飛び込んできて、コメントを求められたりします。
そういうところはやりがいはあるし、自分の弁護士としての知識を披露する、あるいは法律的な感覚
というものにみなさんに少しでも馴染んでもらう。事件が発生して誰かが逮捕された時に「これはど
うでしょうか?」というふうなコメントを求められます。そういうときに、その場で結構失敗もあり
ますが、それなりの解説ができたときにはやはり本当に出てよかったなと思いながらも、くだらない
芸能人の話は横で聞いているだけだったのですが、5年間そうして過ごしてきました。
「世界的教養人」ということが今日のテーマになっていますが、先ほどスペイン人の神父さんの話
がでましたが、これも私にとって愛光で得たものの大きな一つかなと思います。弁護士会を代表して
国連に行って、代用監獄の問題を訴えたり、それから刑務所の人権の問題などについていろいろ調査
したりとかいうふうな活動をしています。ちょっと1つだけ言いますと、世界各国の刑務所とか拘置
所に行きまして電話のない国は日本だけです。日本は電話が無くて当たり前だと思われているが、こ
れは大変な問題でありまして、世界ではどこの国でも電話はできます。自由にできるかどうかは別で
す。モニターされている場合も当然ありますが、家族と電話で話ができないで、何年も刑務所に行っ
ているようなことがどんな事態を招くことになるかを考えていただきたいと思います。奥さんと直接
会話ができずに5年・10年と過ごしていくと。そういう中で、夫婦関係が崩壊し刑務所を出ても帰る
家庭がないと、そして再び犯罪を犯してしまうと、こういう事態の繰り返しになっているわけです。
私は法務省と日弁連との協議メンバーでこの問題も取り上げ「なんとか電話くらいは付けてくれ」と
言いましたところ、法務省の役人の方は「予算が無い」と言われました。この先進国日本で、日本列
島の刑務所・拘置所に電話くらいなぜ付けられないのか?と思うのですが、そういったことを言われ、
愕然とした覚えがあります。やはり国際的な感覚、国際的な目で見れば、日本がいかに人権が遅れて
いるかということがよくわかるだろうと思います。
日本の教育の問題について触れる時間がもうなくなってきました。後のディスカッションの場で触
れたいと思いますが、一つだけお話したいことがあります。できるだけ多角的な視点、複眼思考で物
事を見る・考えるという訓練というものをぜひ愛光で、それから後の大学・社会でも身につけていく
必要があるのではないだろうかというふうに思います。「メディアリテラシー」という言葉がありま
す。メディアを批判的に見るということです。例えば北朝鮮の今回の拉致事件の問題で、メディアは
拉致家族の立場で一斉に北朝鮮の酷さと惨さというものをキャンペーンしています。これはもうその
通りでございます。同時にしかし思い致せば、あの戦争中の何万人・何十万人の強制連行はどうだっ
たのかという問題はあるのですが、これに触れることが一切ないわけです。なぜ触れられないか?そ
れは、そういうことに触れると、北朝鮮の味方だと思われるのではないかという不安感がメディアの
側にあるわけです。同時に、拉致家族の人たちの立場に立ってキャンペーンを張っていた方が楽なわ
けです。そういう思いの中でメディアというものが動いている。この辺のカラクリというものも常に
批判的に見ていく必要があるだろうと思います。「拉致家族の問題を解決するためにも、国交正常化
交渉を続けていく、その中で拉致の問題も解明していく」という、小泉首相は大変正しいことを言っ
ております。その立場は当然なわけで、総合的に物事を見ていく、多角的な観点から見ていくという
ことが極めて大事だというふうに思います。
そして、是非愛光の中でも法教育という、「法というものは何なのか?」「ルールとは一体何なの
か?」という教育もしてほしい。これから司法改革という問題についても本当は触れたかったのです
が・・21世紀、どのような社会を作っていくのかということで、今、司法の世界は大変な状況になっ
ています。明治維新、戦後の時期に続いて第3の変革の時期だと言われています。裁判官の選任の問
題とか、あるいは裁判員制度といって陪審制のようなものを作ろうとか、様々な動きがあります。ぜ
ひ関心をもっていただいて、ロースクールというものも近々実現しますし、法律の世界にこの中から
も大勢入ってくれることを期待しています。ありがとうございました。