司会者:12期生の鎌江伊三夫さんです。鎌江さんは神戸大学医学部都市安全医学研究分野の
教授であり、あるホームページの弁を借りますと、医学・医療における意思決定理論の我が国に
おける数少ない理論派専門家の一人であるというふうに評されております。では鎌江さんの基調
講演に移ることにします。

鎌江さん

神戸大学の鎌江です。スライドをお願いします。私は医学部に身を置いている人間です。聞くとこ
ろによりますと愛光学園の卒業生もしくは現役の学生さんには医学部志望者・進学者が非常に多
いということですね。これから医学部に行きたい、医者になろう、もしくは医療に関わる人間になろ
うと思っている方がたくさんおられると思います。本日は、そういう方に対して私の独断も交えて簡
単にメッセージを送りたいと思っております。今日お伝えしたいのは、日本の医学・医療というのは
研究も含めて教育もそう、実践もそうですが、あらゆる面で非常に危機的な状況にあるということで
す。ですから、従来のような「勉強ができるんだったら医学部ですね。」とか、「医者になっておけ
ば得じゃないか。」とか、「食いっぱぐれはないんじゃないか。」とか、といった感じで医学部に来る
というのは、ある意味で、ほとんど国賊に近いダメな発想であるということをお伝えしたいのです。
最近よく医学部の学生に言うのですが、今の日本の医学・医療というのは世界最高だというふうに
言う人はいるけれども(確かにそういう分野はあるのです。研究の一部もそうです。)全体の総合力
や医師としての総合力をみれば、たとえばNHKの「ER」を見たら解ると思いますけれども、日本の
医学部にはああいう世界がほとんどないということです。ですから、そのような世界をよく知った人
間から言わせると、幕末くらいのレベルにあるということです。幕末のときに何が起こったでしょう
か?若い人たちが「これでは日本はダメだ、常に遅れている、頑張らないとしょうがない。」というこ
とで、中央ではなく長州とか薩摩とか地方の武士が、それも郷士と呼ばれるような正規の武士では
なかったような人たちが決起して日本を近代化に導いて行くという大きな流れが起こったわけです。
今の医学の世界にも同じようなことが求められる状況があります。そんなバカなと思われる方が多
いかもしれません。例えば、東京大学医学部、京都大学医学部があるじゃないか?お前は東京
大学医学部に行ってないからそういうことを言うのではないか?と思われるかもしれませんが、そ
れはいろんな意味で的を得ていません。確かに東京大学には優秀な先生もおられますが、だか
らといって地方の大学はダメな医者ばかりなのかといえばそういうわけでもありません。日本全体
の流れをみるとき、東京大学を頂点として日本の大学を引っ張っていく体制がもはや構造疲労を
起こしているという状況にあるのです。
前置きはこれくらいにして、さて改めて愛光学園50周年おめでとうございます。確かに私にも愛光
時代がありました。これがその証拠写真の一つです。私は天文少年だったので、友人が天体望遠
鏡を買ってもらったのを見せてもらった楽しい思い出があります。この写真でわかるように、ツート
ンカラーのメガネをかけているちょっと暗い感じの地味などうということはない学生が私です。勉強
ができなかったわけではありませんが、かといってトップクラスでもなかったという、いわば、不器用
な田舎出の少年だったと思います。卒業してからは紆余曲折の人生となりました。一浪して京都
大学の工学部の情報工学科に入学しました。現役の時は阪大の医学部を受けましたが、失敗し
ました。妻が当時大阪に居たのと、父の強い薦めがあり、成績から考えて阪大の医学部だったら
受かるだろうとの思いがあったからです。私自身が幼いという面もあったと今になっては思います
が、見事に不合格となり、そこで初めて人生は甘くないということを悟りました。その後、自分のやり
たいことをある程度やろうと思い京都大学工学部の情報工学科に入学し、大学院の修士課程にも
進学しました。その間体を壊して一年間休学したり、一年留年したりとジグザグの階段に示された
ように、まさに滑ったり転んだりしながらの人生でした。その当時、マイシンプロジェクトと呼ばれた
米国スタンフォード大学の医学部で行われていた、コンピューターを使って医学診断を行う学際
的な研究の話を知るところとなりました。当時の京都大学の工学部ではそういうことが行える雰囲
気がなかったため、アメリカというところはスゴイところなんだなと、リベンジの意味もあって、医学部
にもう一度行き直そうと思うに至り、神戸大学の医学部に入り直しました。それから京都大学の大
学院医学系研究科の医療情報分野に進んで、ハーバード大学に留学する機会を得ました。ハー
バード大学は工学と医学の融合した研究が非常に進んでいるところです。そこで、英語ではヘル
スディシジョンサイエンスと呼ばれているのですが、医療決定科学の博士号を日本人として最初
にいただくということになりました。本当の意味での学問の方法をここで学びました。その後は日本
に帰り、当初、大学での研究職はなかったのですが、島根医大と京大の医学部を経て、現在は神
戸大学に勤務しております。さて、何が危機なのでしょうか?最初にお話したように、それにはさま
ざまな面があります。例えば、医学知識・情報の爆発や、医療のコストの逼迫した状況や、財政の
破綻、少子高齢化による疾病構造、社会の環境の大きな変化などがあります。さらに、患者意識
も大きく変わってきているということです。これは「消費者主義」という言葉で表現されますが、患者
の自己決定権が重要視されるようになり、お任せ医療が通じなくなってきているわけです。それか
ら「EBM」という言葉がよく耳にされるようになりました。これはエビデンスベーストメディシンという
言葉の略です。科学的根拠に基づく医療と訳されますが、この考え方がここ5年くらいファッション
のように医学界を席巻しております。つまり、今までの医学は科学的根拠にあまり基づいていなか
ったと言うべき部分があったために、そういう言葉が使われるようになったのですが、このEBMに
対する日本の対応は欧米に比べ遅れています。EBMへの不十分な対応が、医療の質の低下や、
医療ミスの続発といったような様々な問題に関わっているのです。日本の医学・医療というのはそ
の観点からすれば、今や教育まで含めていわば沈みゆくタイタニックの状況であるというふうに言
わざるを得ないのです。しかしそのことを認識している人は、まだ必ずしも多いとは言えません。特
に、日本の医学部は医局という閉鎖的な構造の上に成立していますので、その閉鎖性が大きな
障壁となっているのです。研究レベルで私は少しそういう方面に貢献しております。例えばこの写
真は、医療経済学ヨーロッパ会議がフランスのカンヌであった際の様子です。このように議長を務
めさせて頂いたりしながら、海外を主体とした学会活動を行っております。と言いますのも、そうい
った学会がないからです。欧米からは極めて遅れた状態です。
このような状況の中でどういう学生さんに医学部に来て欲しいのかとなりますと、もちろん、第一に
グローバルな視点を持った人ということになります。本日のテーマである世界的教養人は愛光生
の古典的な目標ですが、その意味が何かはさておき、偉大な目標としてそのような気持ちをもった
人が来て欲しいと思っています。しかし実際そのような目標に向かうためには、百聞は一見にしか
ずという経験が効果的です。そのため、神戸大学医学部の5年生の終わりに行われる基礎配属と
いうカリキュラムの一環として、私は毎年一回ハーバード大学医学部における研修に5年生を連
れて行くようにしております。この写真の学生たちの顔を見てもらうとわかりますように、海外研修
中の彼らは非常に生き生きしております。彼らは医学部の病院実習でほとんど死んでいるような
顔をしているのです。なぜかというと、医学部が面白くないからです。ロクに教えてもらえないという
不満も聞かれます。さきほど、秋山先生が「教師が悪い。」ということを話されましたが、それは確か
に私もうなずけるところがあります。私も自戒しているところがそれなりにあります。この写真で白い
服を着ているのは横山君というのですが、彼がこういうことを言ってくれました。「鎌江先生、僕は
本当にここに来て良かったと思います。わずか4、5日だったのですが、いろんなディスカッション
を通じてたくさんのことを学びました。医学部に入っても電話帳のような記憶をどんどんさせられる
ばかりだと感じていました。」数学が出来たはずの子が、医学部卒業時には二次方程式が解けな
くなるといった笑えない話もあります。「そういう生活を繰り返していると暗記に没頭するばかりとな
って、どんどん視野が狭くなっていった気がします。結局自分はどの医局に入れば得なのかとか、
とにかく国家試験を通るだけの勉強はなんとかやって医者の免許だけは取らなければといった非
常に視野の狭い人間に陥っていました。そういう自分に気付くことができて本当に良かったと思い
ます。」と言っていました。この横山君の例にもあるように、具体的な経験を通じてグローバルな視
点を身につける教育を、出来れば高校時代に行って頂ければと思います。
第二に、医学部に来る人は病苦にかかわる優しさを、シェアできる人間、分かち合える人間でな
いと絶対にダメです。これは当然かもしれませんが、優しい心の持ち主が望まれます。
さらに、三番目の適性としては、さきほど「EBM」というキーワードを述べましたが、科学的判断能
力が非常に重要です。はっきり言って今の状況では、日本の医学部では、このEBMを充分に学
ぶことができません。ですから最新のEBMを学ぶには日本の医学部だけでは不十分だということ
を覚悟する必要があります。そうなれば海外で学ぶ必要がありますから、英語の会話能力を身に
付けないといけないのです。英語を身につければ国際人だとかいった類の陳腐な議論を越えた
中身を身につけた英語力の修得が必要です。ですから、ステレオタイプの進学指導はもはや適
切ではありません。例えば、英語ができれば文学部へ、赤ヒゲ先生をめざす者が医学部へ、数学
が好きなら数学科へといった進学指導は全く無意味なのです。もちろん、そのようなパターンがう
まく当てはまる場合もあるでしょうが、今、日本の医学教育が直面する厳しい状態は、高度な科学
的能力を持ち、なおかつ、心豊かな医者を欧米に劣ることなくどうやって育てるのかということで
す。
これはシリアスな問題なのです。従って、両方の能力においてある程度上手くバランスを取り、数
学者になれるほどはできないかもしれないが、数学も好きな反面優しいし、人を助けることにも興
味があるといった人にどんどん医学部に来て欲しいのです。とにかく古い考え方に縛られてはダメ
だということです。
さらに、学生諸君に特に伝えたいのが、良き伴侶を見つけて欲しいということです。この写真は親
しい友人夫婦とのスナップです。彼らもとても仲がいいカップルです。これは私の妻ですが、今日、
ここに来てくれています。最初に述べました阪大の医学部を受験した時に大阪に居たという話の
妻ですが、今もよき伴侶であり続けてくれています。恋多きという言葉が先ほどありましたが、私は
一人の女性を一生添い遂げるような努力もなかなか捨てたものではないのではないかと考えてい
ます。そういう意味では、先ほど酒井さんがおっしゃった悶々とする心情に相通ずるところがあり、
なかなか響く言葉だと感じました。
さて、最後に一番伝えたい言葉があります。ハーバード大学に留学している時に、門にこういう言
葉があることに気がつきました。「Enter to grow in wisdom」です。このWisdomというのは英知です
が、愛光でいうところの世界的教養人の教養という部分に当てはまるのかもしれません。それを
Growする、すなわち、育てる、増すために入ってきなさいと、大学に入る者に目標を示しているわ
けです。愛光学園では、世界的教養人を目指すといったような、およそ到達しようとしても到達で
きないような目標が掲げられていますが、それに通ずる言葉を私はハーバード大学で発見して驚
きました。これは、愛光学園の初代田中校長の示された理想の再発見でもあったとも思えます。
田中校長が50年前のまだ戦後まもない混乱した日本の状況の中で、そのようなユニバーサルな
概念を中高生に求めた点に感銘を覚えました。そのような愛光学園で教育を受けれたことにある
意味で自信を持ってよいのかもしれません。国際的知識人といったようなある意味軽いスマートな
言葉ではなく、少し時代は古くなっているのかもしれませんが、世界的教養人といったものを遠い
目標でもいいから目指したいと私も思っております。これは最後にお知らせしたいのですが、神戸
は震災後、医療産業都市プロジェクトという新しいバイオサイエンス研究に、既に200億、300億と
いうお金をかけて取り組んでいます。これは、21世紀の世界の医療産業のなかで、神戸が情報発
信基地になろうということを目指しています。日本だけでなく、神戸が世界的に注目されるユニー
クな場所になりつつあるのです。そういう意味でも神戸に新たな医学を目指す人々が来てもらえ
れば幸いです。