司会者:変わりまして、16期、堀洋一さんにご登場いただきます。堀さん
は現在東京大学の教授で、工学部電気工学科に20年近く勤務されていまし
たが、この10月1日に生産技術研究所に引越しされています。専門は制御
工学の産業応用。はまっていることは電気自動車と伺っております。それ
から、中学1年から大学の博士課程の途中まで13年半、ずっと寮生活を経
験されています。それでは宜しくお願いします。

 堀さん

16期の堀といいます。スライドをお願いします。今日は落ちこぼれ自慢
のような会合になっているようですが、私はわりとすくすくと愛光生活を
楽しんでそのまま今日に至っているようなところがあります。そういう一
つの卒業生のエグザンプルとして見ていただければと思います。
 これは中学校の1年生の時に十亀君、私は丹原町の出身ですけれども、
その時撮った写真で、これは宮西町の古い校舎で、今はフジグランが建っ
ているところであります。懐かしいと思う方も多いのではないかと思いま
す。
 これが私のざっとした経歴なんですけれども、昭和30年の丹原町生まれ
です。丹原小学校、愛光中学、東京大学に入りまして、その中にずっとい
ました。途中で1年ほどアメリカに住んだことがあります。その時は家族
も一緒です。私は父を非常に早くに亡くしました。中学校2年の時に交通
事故で亡くしたのでありますが、今日現場にも行ってきました。
 母も一緒に住むようにいたしまして、今、千葉県の我孫子市というとこ
ろに住んでいますが、それから妻、長男、長女、次男、三男とおります。
今見てみるとそれぞれ大学、高校、中学、小学校と1人ずつおりまして、
妻が子育てを一段落しまして、また大学院に入りなおしまして、修士を終
えて今は博士で、日本語を外国人に教えるということを一生懸命勉強して
おります。たぶん家の中で一番勉強しているのは妻であるという状況であ
ります。
 写真集を見ていましたら、こんな写真が出てきました。校長先生、たぶ
ん運動会か何かの朝礼の時だったかと思いますが、非常にこういう写真を
見ると、身が引き締まるような思いがいたします。白石先生、河井先生、
門屋先生がこういうふうにいらっしゃいますね。これは最近画像処理で見
える色に直しました。それからこれは門屋先生で、たぶん運動会の時でチ
ラッと見えているのが更科先生だと思います。これも新しい校舎での運動
会。こんな古い校舎の運動会の写真をどうやって撮ったのか、校舎の上の
ほうから私の父が撮ったのかもしれません。非常に懐かしい写真です。次
にこれは16期生のなんらかの行進をしているところで、ザッザといった音
が聞こえそうな気がします。これは、田井先生、私の担任でありました。
高3A組の面々でその時に撮った写真かと思います。見ていて飽きないも
のです。それからこれは卒業の時に撮った新校舎での写真で、四人のABCD
のクラスの担任の先生と撮ったものです。
 私は非常に長く寮生活をしましたので、ほとんどの自分の人格的なもの
というのは、昔の聖トマス寮の時に培われたものではないかと思っていま
す。そのまま、東京でも寮生活をしまして、博士課程の途中まで寮にいま
した。その後、さすがに若い人が入ってくることもあって下宿をしたので
すが、どうも一人で住むというのは寂しくて、すぐに結婚してしまったと
いうことです。非常に早く結婚しましたので、子供も早くできました。
 これが最後に16期生丁度16人いたのですが、先ほどのスライドに出て
きた今ダイハツになっている聖トマス寮の本館と呼んでいた所の3階に16
期生16人は陣取りまして、そこで1年間居たわけです。これは、私が寮を
去って、丹原に帰るバスの中で非常に涙が溢れたということを文集に書か
せていただいています。その時に忘れないうちに書いておこうと、鉛筆で
一人一人の部屋の配置を書いたものです。私の部屋の前の小野っていうの
は現在国会議員をしている小野晋也ですね。それから他の懐かしい
面々・・・これは、最後に衣山の校舎に1年間だけ通いました。その時に
衣山の駅で撮った写真です。こんなんでぞろぞろと通っていました。
 昨日、寮祭のほうで電気自動車については高3生を対象に話させていた
だいたのですが、随分と熱心に聞いていただいたので、たぶんこの話を聞
いてくれた最年少グループだと思って大変感動したのですが、大変話し易
い雰囲気で聞いてくれました。この中の何人かが僕の研究室に来てくれれ
ばいいなと思っております。
 ここからは真面目に今までお話してくれた方とは正反対のことを述べる
かもしれませんが、原稿を読みます。
 まず、私は工学にいますので工学教育について日々考えていることを述
べます。これは文集のほうにも同じ事を書いているのでご興味のある方は
読んでみてください。ホームページなどにもあります。この五つの話をい
たします。
 まず、初等教育の危機という話です。中学高校での個性化対応化教育が
大学飛び教育の弱体化を招いています。このバカげた風潮は、小学校のゆ
とり教育と授業時間の大幅削減におよび、いよいよ来るべきものが来たと
いう観があります。もっとも世界的な視野で見れば、日本だけおかしなこ
とをやっています。日本の初等教育の素晴らしさは高く、長く非常に高い
評価を受けてきました。それを今、自ら捨てようとしています。大変イヤ
な言い方ではありますが、今若者が勉強したほうがいいという最大の理由
は、アメリカがやっているからです。アメリカは教育に大変な予算と力を
注いできましたが、効果は最近目に見えるような形になってきました。今
こそ、恥も外聞もなくマネをしたほうがいいとさえ言えます。アジアの近
隣諸国もまた然りであります。最近、秋山先生もおっしゃいましたが、数
学や英語の能力などについて様々なランク付けなどを目にします。色々議
論はありますが、これはあまりバカにしてはいけません。事態はかなり深
刻であります。東南アジアからの派遣員、これは我々の仲間もよく滞在を
致しますが、その頭を悩ます最大の問題は何か、これは子供の教育の問題
です。つまり自分の子供たちを日本の小学校に入れなくてはならないとい
う状態が生じます。日本の小学校は大変難しいことを教えて進度が速いの
で、ついていけなくて大変なのでしょうか、そんなことではないのです。
日本の小学校ではロクなことを教えてくれないので、本国に帰った後、そ
の教育についていけなくて困るのです。そういうことをぜひ認識していた
だきたい。いつの時代にも流行に流されないということが非常に大切だと
すれば、世の中があまり勉強しなくなっている今こそ自信をもって後輩諸
君は勉学に精を出す絶好のチャンスであるともいえます。
 次は大学の話です。大学は社会に養ってもらっています。これは公立私
立ともそうです。政府の援助を受けない私立大学はつぶれてしまいます。
では、社会は大学に一体何を求めているか?。それは教育と未来の価値創
造であるということがよく言われます。第一は教育です。研究より教育の
ほうが重要なのでありますから、うちは教育を主にする大学ですという看
板を掲げることは恥でもなんでもありません。ところが、今はこれが混同
されています。研究者はそもそもたくさんいりません。少なくとも全員が
研究者を目指す必要はありません。ただ少数の大学では研究と教育は不可
分でありましょうから、例えば県庁所在地などに拠点となる研究教育大学
を一つづつ設ければおそらく数としては充分であると思います。
 それから専門化、一般化という話です。大学や大学院の教育の問題とし
て大学入学後早くから専門化されるのでフレキシビリティーが創出し、対
応性が育たない。学部では幅広く学ばせ、大学院で専門化するのが良いと
いう意見をよく耳にしますが、私は、全く反対の考えを持っています。大
学の学部では分野を分けた専門教育を先にやるべきであります。しかもか
なり深く。深く極めることによって、専門を超えた共通のやり方、普遍的
なコツといったものが身に付きます。これがその人のベースとなり貴重な
財産となります。大学院では分野に跨る研究を目指すといいでしょう。い
きなり大海原に出て迷うかもしれませんが、学部の基礎がしっかりとして
いれば問題はありません。人間は年を重ねるに従って守備範囲が広がり、
ジェネラリストになっていきます。どうして大学院では視野が狭くなると
いわんばかりの誤解がまかり通るのか、僕は大変不思議であります。大学
の学部でいきなり専門に入っても大丈夫なように、高校までは基礎知識を
たくさん勉強しとくのが良いと考えます。ところがこちらが個性化・多様
化という言葉のもとに、あまり広くもない浅い教育が行われているように
思われます。基礎知識は道具であります。良い道具、ツールをたくさんも
っているほうが豊かな発想ができることは明白であります。詰め込みでは
想像性が育たないでしょうか?。私は基礎知識のないものに想像性が育つ
とすれば奇跡であると思います。何事もあるレベル以上の知識がないと楽
しめないことは、囲碁や将棋などをみれば明らかであります。
 それから効率のよい研究開発という話。最近の科学技術行政というのは
非常に変わりました。総合科学技術会議というものができ、その方針に従
って莫大な研究費がとりあえず先行する四分野に重点的に集中投資をされ
ています。そこでは明確な目標設定と数年ごとの評価に基づく効率の良い
研究開発が行われるということになっています。しかし、混沌とした何の
役にも立ちそうに無い学問とか、学生達との時間を気にしない議論の中か
ら、新しいものが生まれるという確率は極端に減ってしまいました。数年
先の目途がたたないような研究はできなくなってきました。何より、大学
の生活に余裕がなくなってきました。お金も欲しいですが、ぼんやり思索
にふけったり、ゆっくり本を読んだりする時間が欲しいというのが現状で
す。しかし、ぼやぼやしていると自分のクビがとびかねない。これは企業
の方はそうは思わないかもしれませんが、今大学は極めてチェインジング
であります。多くの優秀な同僚たちが周りにおりますが、彼らが非常に無
意味とも思える書類の作成に時間を取られているのを見ますと、何か間違
っていると言わざるをえないと思います。
 これが最後、学融合という話ですが、今は学融合という言葉が持て囃さ
れています。学際性といったことも重要とされ、我々の工学分野でも電気、
機械などの分野の壁を越えた先端学際工学あるいはシステム創成工学とい
った綺麗な言葉のものが大変花盛りであります。しかしこれはちょっと待
っていただきたい。これは逆行ではないかと考えます。昔の学問は全部哲
学でありました。法学、医学が分かれ、理学、工学がひとり立ちし、さら
に工学は土木、建築、機械、化学、電気といったものに分化して発展いた
しました。もし機械と電気が分かれなかったら果たして今日のような発展
をみましたでしょうか?。これはおそらくそうではない、分化したからこ
そ発展したと考えるべきであります。融合するためには各々の専門に根ざ
したアイデンティティが必要であります。根無し草が集まっても融合には
なりません。これは集合であります。融合すべきものを持たないのであり
ます。自分の周辺の話になりますが、土木、建築、化学、金属、機械、電
気、こういった伝統的な工学分野をバックボーンエンジニアリング、基幹
工学と呼んでみてはいかがでしょう?これは根っこであります。根っこを
持ちながら、先端工学、訳はプロービングエンジニアリングであろうと思
いますけれども、そういうことをやり、ダメだったら勇気を出して引っ込
める、そういうスタンスでいたいと思います。これは流行に逆らうことで
す。
 世の中はそういうふうな論調ではありません。秋山先生が講演なさった
ようなことが流行であります。ただ人々はやがては目を覚まし、「個性化」
「多様化」「ゆとり」こういった言葉が非常に虚ろなものであったという日
が必ず来ると私は思っています。以上です。