愛光学園創立50周年記念シンポジウム
基調講演「クラーク先生のいいたかったこと」
東海大学教育開発研究所次長 秋山 仁

『要 約』

愛光学園との接触は今から.6、7年前に学校にお邪魔して、「現役の高校生諸君
に元気の出る話を何かしろ」「数学の話をすると深い眠りについてしまう危険性
があるので」と言われて、元気の出る話をしにいったことがあります。

今、教育の困難な時代になっています。百年に一度か二度しかないような大
きな教育の変換点に来ているわけです。
新しい改革点は4つ、5つあります。
(1) 土曜日、日曜日がお休みになる学校週5日制が布かれている。
(2) その結果、8時間勉強時間数が減った。
(3) 今までと違う総合とか情報とか、時代の流れに即応した新しい科目が、数
学とか理科とか国語とか音楽とか社会と並んで出てきた。
(4) カリキュラムの内容が今までよりも3割削減されることになって、教科書
が100ページから70ページという薄っぺらなものになった。
(5) 成績の評価の仕方が、今年の4月から相対評価を改めて到達度評価または
絶対評価になった。
教育の質、授業の質、教師の力、力量、指導力、こういうものを変えないで、
ただ時間だけ増やしてカリキュラムを増やして、やれやれと言っても、ますま
すキライだ、ますます数学離れ、理科離れ、勉強離れ、インテリジェンス離れ、
知性離れ、こういうものが増加して行くのではないかと考えています。今こそ、
教育の質、授業の質を変えて行くべきだと思っています。

きちっと若者を指導していた私たちの先達はどういう方々がいらっしゃるの
か。
名門灘高校を卒業した作家遠藤周作さんは「自分の経験から受験のための教
育がどんなに意味がないか私は知っている。そうなったのは親にちゃんとした
教育観がなくなったからだ。教育観とは親が持つ人間の幸福感のことだ」

アメリカのロバートフルガムのちょっと長いタイトルの本「人間に必要な知
恵は全て幼稚園の砂場で学んだ」。その冒頭にはこう書かれています。「人間が
どう生きるか?どのように振る舞い、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本
当に知っていなければならないことを私は全部残らず幼稚園で教わった。人生
の知恵は大学という山のてっぺんにあるのではなく、幼稚園の砂場に埋まって
いたのである。私は、そこで何を学んだであろうか。(省略)何でもみんなで分
け合うこと。ズルをしないこと。人を打たないこと。(省略)誰かを傷つけてし
まったらゴメンなさいと言うこと」

今日のタイトル、ウィリアム スミス クラーク先生は、札幌農学校で初代の
教頭先生を務められました。クラーク先生はボストンからサンフランシスコま
では馬車に乗り、そしてサンフランシスコから苫小牧まで列車とか馬車とかま
た船に乗って、そして札幌まで来ました。
そしてその日から、人間はいかに行くべきか?なぜ学ぶのか?人間は悩んだ
ときにどうすればいいのか?キリストはどういうふうに言っているのか?こう
いうように寝食を共にして、暮らしたそうです。
1年契約で来られ、結果的には8ヶ月と19日で帰ることになり、教え子たち
に、あの有名な言葉「Boys,be ambitious.」という言葉を残したのです。後々、
英文学者がとても素晴らしい「少年よ、少女よ大志を抱け」という訳をつけて
います。
私は実はクラーク先生はそんな綺麗なことを言いたかったのではなく、「おい、
日本の最近の若者たち、最近元気がないのではないか?もっと上手くいくかい
かないか、将来のことなんか誰だって分かりゃしないさ、やりたいことをどん
どんつくって、ガンガンやってみたらどうだ」というようなことを叫んだので
はないかと思います。

今日は結構若い方々に参集いただいておりますので、クラーク先生のおしゃ
っている大志を抱く、やりたいことをガンガンやってみる、このことをもう少
し具体的にヒントを差し上げられたら大変嬉しいと思います。

まず最初は広い世界を知って、見聞きして、見聞して、視野を広めるという
ことを少しお話したいと思います。
私は高校の時には成績もビリで、大変な成績で、何をやっていたかというと
一生懸命本を読んでいました。ドフトエフスキー17巻は高校の時に読みました。
あのプルストの「失われた時を求めて」全8巻も全部読みました。
いろんな人生を一人の人間が送るわけにはいかないから、いろんな人の人生
を、本を通して知るということは重要です。これから最低でも1週間に1冊は
本を読んでほしいと私は思います。
2番目は特に若い人は広い世界を知るために、勉強よりもいろんな世界を垣間
見ることがとても大きな刺激になるのです。だから、いろんなことをやってみ
よう。高等学校を卒業したら自立・自活してみてはどうだろうか? 授業料も生
活費も自分の手で稼ぐということが重要ではないか。

若者たちを健全に育成していくためには心の教育、身体を鍛えること、そし
て知性を磨くこと、どれも大切だということは言うまでもありません。中でも
やはり徳育が重要ではないでしょうか。同時に身体を鍛えるということはやは
りもっと優先してやらせるべきで、知育や偏重に陥っては危険であると思って
います。サッカーでも野球でもいい、ゴルフでも乗馬でもヨットでも何でも自
分の身体を鍛えようと思っていただきたい。

部活でもいいし、文化活動でもいいし、ボランティアでもいい、何か努力を
して、昨日まで出来なかったことを今日出来るようになる、今日出来なかった
ことは明日出来るようになるという進歩するシステムを構築して、その自分の
進歩の度合いを自分の目で確認するシステムを、特に若者には作ってほしいの
です。
もう還暦を迎える方もこの愛光の先輩ではいらっしゃると思いますが、そう
いう方こそ、よし、これから何かやろう、小説を書こう、絵を描こう、彫刻を
彫ろう、陶芸をやろう、ベンチャーズのギターを始めようなど何でもいいので
す。そういう挑戦を次々に続けていくことが重要だと私は思っています。

次に、「良き師」「良き友」は人生でとても重大なことで、お金があるよりも、
良き友がある、良き師がいるということがとても重要だと思います。
真実を語れる友というのは仕事の場では利害などがあり、カッコつけなくて
はいけなかったり、体裁を繕わなくてはいけなかったりするのでなかなかでき
ない。しかし、中学や高校の時の友というのは利害がないから生涯の友になり
うるのです。だからそういう友を大切にしていくということが、自分の人生の
財産になるのです。
「なぜ、お前は頭が悪いのに、ビリなのに数学なんてやったの?」とみんな
にいつも言われます。高校3年の担任の先生が数学の先生で、その先生がとて
も素敵で、あの先生みたいになりたいと思って、それが人生を間違えた由縁だ
ったのです。目標になる先輩とか先生とか、そういう人を探すということがと
ても重要なのです。

あとは言おうか言うまいか楽屋で考えていたのですが、やはり大いに恋をせ
よ。恋愛ですね。これをしないとダメです。
若い人たちは、傷つくことを恐れてはいけない。彼女に全身全霊をもって、
100万本のバラを持って、そして彼女に尽くして・・・でもきっとフラれる。で
もそれが人生です。
女優の壇ふみさんが「私の父はとても偏屈なの。こんな色紙を子供たちに残
して死んじゃったの」と色紙を持って来たのです。その色紙を見ると、「子供た
ちへ。お前たちの人生が多難であることを祈る。壇一雄」と書いてありました。
ふみちゃんは怒っていましたが、そうではないのです。やはり子供たちの人生
が多難であることを親は祈らなければならないのです。子供たちの人生が多難
であればあるほど、子供たちの人生がみのり豊かになものになるからです。今
日来ている先輩方々も経験しているはずです。絶望・失敗・屈辱などをたくさ
ん乗り越えて、その屈辱をバネに強く生きるという方法を学べと言っているの
です。
一生懸命勉強をして目指す大学の合格発表の掲示板を走って見に行った、そ
したら自分の受験番号がなかった。一生懸命したけれど番号がない、一生懸命
やって、受験番号があった、これもいいです。よくないのは、一生懸命受験勉
強をしないで落ちちゃった。1番悪いのは、やらないで受かっちゃった。
受かっても落ちてもいいのです。「一生懸命やること」、クラーク先生のでー
っかいアンビションをもって、努力のすべさえ手にすれば、君たちの人生はも
う安泰だって私は言いたいのです。

次は、これだけは人に負けないよという自分の得意分野、映画のことでも車
のことでもロックのことでも、鉄道のことでもいい、趣味でもいいし、専門で
もいいし、これをもってほしいのです。
何か一芸に秀出づるものは、他のものにも通じますから、自分にしかできな
いものを発見することができるのです。どの人だって、その人にしか出来ない
ものがあるのです。そういうものを天職というのです。それをこの学校で学ぶ
とき、または将来探していければ、充実した生きがいのある人生を送れること
は間違いないのです。

最後に、自分で何かCreativeなもの、要するに創作活動をやってほしいので
す。いま、口ではいろいろ言うのですが、やらしてみると何もできないという
若者が、結構世間では充満しているのです。これでは困るのです。ちゃんと自
分で何かをやってみる。例えば今日から詩書いてみようとか、小説を書いてみ
ようとか、ともかく文章を書いてみるとか、絵を描いてみるとか、彫刻を彫っ
てみるというのもいいのです。ギターを買ってきてギターを始めるもよし、ハ
ーモニカを買ってきてテネシーワルツが弾けるようになってもいいのです。何
でもいいのです。

たった1回しか人生はありません。そして若さというのは肉体のことではな
くて、精神の若さをいうのです。サムエル・ウルマンの言葉ですが、それが正し
いと思います。
私は昭和21年生まれですが、いまだ青春真っ只中だと思っています。昨日は
三番町3丁目の飲み屋に行き、若い女性に会ったので、28歳だと言いました。
精神年齢は28歳くらいだと思っています。
今日はこんなにめでたい記念のシンポジウムの冒頭で戯言をたくさん述べさ
せていただきましたが、ご清聴ありがとうございました。

(文責 河田 正道)