ご寄贈いただきました。

第1期生の安永弘紀さんより下記ご著本を同窓会長、学校長、事務長、図書館宛にご寄贈いただきました。
平成17年6月23日

 たらちねの天地    安永真魚 著  文芸社◎定価(本体1,700円+税) 愛媛県菊間町 教育委員会推薦

多くの日本人が、ふるさとを失って久しい。
ここの描かれた”たらちねの天地”は、間違いなく、ニッポンの中心である。
なかでも著者の母親は、純粋無垢なニッポニア・ニッポンだ。
                             早坂 暁

子供たちが暮らした海辺の町に、戦争の時代が去り、
新しい時が流れはじめ、土のかおりのする天地が、
やがて文明の時空に呑み込まれるまでのわずかなまばたきの間に
月日はどのようにめぐり、時間はなぜ、どのように流れ去ったか。
ココはどこ、今はいつ、ワタシハダレ。21世紀、生き物たちの魂の内側に、
<時空>はふたたび蘇るのか。


銀座のど真中に荷馬車を走らせたい
          ー安永真魚「たらちねの天地」を読んでー
                    島津 豊幸
 越智郡菊間町(現今治市)に生まれ、東京に住むひとまわりも若い友人の安永真魚君が、
自分の母(たらちね)を巡るエピソードを中心に本を書いた。
今から半世紀前の菊間が舞台である。
『たらちねの天地』(文芸社)、この三〇〇ページを超える労作の中に詰まっているもの、
歴史と時間の底に忘れられていた日常の断片である。
時代はアジア太平洋戦争の敗戦を中にはさんだ昭和十年代から二十年代(著者の幼少年期)。
 たとえば、それは、町に一軒しかない常小屋の延寿座にやってくる中村団子郎一座の前口上であったり、
カゴ・ザル・シタミ・ミソコシに始まり、花ゴザ・すだれ・ハエ卜リ紙を経ていりこ(煮干し)・
黒砂糖に至る懐かしい手作り(手仕事)商品の行列(著者の生家は荒物屋)であった。
そして、それらが時間の底でたゆたっていた菊間町には、さまざまな職種の人たちがそれぞれのたづき生計を営んでいた。
鍛治屋・鉄工場・ポンプ屋・ブリキ屋・蹄鉄屋・自転車屋・ラジオ屋・時計屋・馬具屋・漁具屋など、
続いて町工場をあげると、
瓦工場・セッケン工場・造り酒屋・醤油醸造・かまぼこ屋・ソーメン工場・マメタン工場.・アイスキャンデー屋どなど、
菊間町の家並みをしめる職種はまだまだ続いて、
おもちゃ屋・乾物屋・うどん屋・旅館から葬れん屋(葬祭具)・おがみ屋(祈祷師)まで七三業種がいくつかの町並み共同体をつくり、
日中戦争から大平洋戦争を潜り抜けるころまで、戦時負担の重税にあえぎながら、
それでもしっかりとした息吹を刻んでいたのであり、その証しのひとつが本書である。
さらに、高松から今治を経て予讃線延長工事に徴発された朝鮮人家族のことも記録されているが、
これとても著者の記憶の袋(ひだ)に残った小さなエピソードというだけでなく、
菊間町が証言する日本近代史の重要な一断面である。     
これまでの歴史研究は、歴史上の大事件なり大項目なりを中心として、その史料の分析でこと足れりとしてきた。
その立場からするなら、この著者の展開する記憶の断片としての童歌や町人(まちびと)の生計など取るに足りない瑣末なことであり、
実際、歴史の土台から掃き捨てられてきた。
その結果、日本の歴史は無味乾燥な薄っぺらなものとなった。
とくに”人民の歴史”などと称する階級闘争史観に彩られたものなど。
これに対して、『たらちねの天地』の著者は生き生きとした本当の意味の"人びとの歴史"を書こうとしたのであろうか。
もしそのことを云ったとして、云われた安永君はどのように応えるであろうか。
恐らく一寸はにかんで、そんなこたあないすよ!と答えるに違いない。
とすれぱ彼の抱いた本当の意図は何であったのか。
 本書を読みこんできて、最前から私にはひとつの音が聞こえている。
ジャラジャラと金具を鳴らし、パカポコとひづめの音を立てて菊閥の町並みを往還する荷馬車の響きである。
その荷台には、誰かが「押しひろげて、シワを伸ぱして」読むための「時間の反故」をいっぱいに積んでいる。
この「時間の紙つぶて」を満載た荷馬車を、銀座のど真ん中で走らせたとしたらどうであろうか。
ふとそんな想念に駆られるのであるが、銀座の人士は、果たして馬車馬の後に落ちているほっこらと湯気の立つ馬糞を拾うであろうか。
(愛光学園旧職員、元愛媛大学非常勤講師・日本近代史)